1限記号論
やたらと金のかかってそうな、各席に一台PCがある部屋に移動し、「知のコンシェルジェ」*1なる日立が開発したというwebサービスを利用するとのこと。
しかし、学生がいっせいにアクセスしたため、サーバが対応しきれず、めちゃくちゃ重くなってしまい、結局利用できず。
うーんなんだかね。


あとでそのシステムは利用してみましたが、関係ある単語がただ線で結ばれているというだけで、なんか役に立つのかなあ、という印象を受けました。
mixiGraphというフリーのツールがあって、それは、自分のマイミクや、そのまたマイミクがどのようにつながっているかを、2次元平面上にグラフとして表示するソフトなんですけれども、あれもまあ最初はちょっと面白いですけど、しばらく見てると飽きてくるんですよね。
それと似たような感じで。


やっぱり、人間が何かを理解するには、どうしても「物語」といいますか、アナロジーと言いますか、そういう「解釈する」という行為が必要だと思います。
そのためには単に線で単語をつなげられても、あまり何も言いようがないと言うか。


↑今書いた2文は、単に僕が個人的に思ってることで、あまり大した論拠はないので無視してくださっても結構です。


ただ、今ぼろくそに言ったのでそれの言い訳みたいになりますけど、こういう、新しい技術を使った新しい試みというのは、やはり最初は無駄なもの、価値のないものに見えることが多いと思います。
でも、こうした試みを続けていくうちに、きっと、だんだん意味のあるものになっていくんでしょうから、まああまり馬鹿にはできないですよね。


話は飛びますけど、僕の周りの人の話などを聞いてると、(理系と言うこともあるかもしれませんが)うちの大学の掲げる「教養教育」、「リベラル・アーツ教育」、「レイト・スペシャリゼーション」というのは、無駄じゃないかというような声がよく聞こえます。


でも、僕は最近、こういうのはとても価値があるんじゃないかと思えてきました。
その理由のひとつが、こういう、まだちゃんとした形にはなっていないけど、新しい試みに触れられるということです。
学問として、まだできて日が浅くて、やってることはなんとなく胡散臭い匂いが漂ってるんだけど、とにかく従来にはなかった方法に触れられるというのは結構すごいんじゃないかと。
まあ教養論を語るのは20年早かったですね。




まあ本題の授業の話に戻ると、今日は、近代以降(?じゃないかも。まあ19世紀とかそのへん)の人とモノとのあり方には3つのあり方があって、それをゴッホの「靴」とマグリットの「赤いモデル」とウォーホールの「ダイヤモンド・ダスト・シューズ」の3つの絵画から読み解こうという話です。
まず初めの時期においては、脱ぎ捨てられた農夫の靴を描いたゴッホの「靴」に読み取られるように、たとえば農夫と大地というのは、靴というモノを通して、何か本源的なあり方の内に存在していた。しかし、工業的に大量生産された商品によって、その本源的な自然との関わり方というのは失われてしまった。
マグリットの「赤いモデル」という作品は、靴が途中から足に変化している、という作品なのですが、これは、自然と人間とのかかわりが靴という大量生産の製品に押し込められることによって失われ、人間の足、また、人間は、半ば靴と同化してしまっているほどに靴に、ひいては大量生産の窮屈な枠組みのなかに拘束されているのだ、という解釈がまず思いつきますが、それだけではなく、足と靴との分節という一種の「去勢」が文明によってなされるが、それによって排除された人間の身体が、想像的なやり方によってその区別をつき破って再び表に表れようとしている、そのさまを描いている、という解釈も可能なわけです。
しかし、第3の絵、ウォーホールの「ダイヤモンド・ダスト・シューズ」においては、既に靴と「大地」あるいは、「人間」とのかかわりは既に失われており、靴(の影)が浮かんでいるのは、記号が無限に複製・増殖されるところのメディアの闇であって、そこにおいては個別性というものは全く意味を持たず、本来的に複製的なイメージ/シミュラークルたちが関係性をつくりあげる独自の空間であるのです。


というような内容でした。
今のはテキストを見ながら書いたので、多少授業とは違うけど、まあこんな感じ。
それにしても僕の上に書いたことはかなり著者の意図から外れているかも。
現代文のテストだったら3割くらいしか点数がもらえないでしょうね。
あー疲れた。
テキストは記号の知/メディアの知―日常生活批判のためのレッスン


5限数理工学への誘い
今日は2つの授業が合同で、計数工学科の宣伝。
1つ目の話は、二次元通信の話。
今までの通信は1次元(配線による通信)と3次元(電波による通信)しかなかったけど、2次元を利用すると色々な可能性が開けますね、という話。
興味深い。
シートの中に電磁波を閉じ込めて、そのシートに導体を近づけると、その導体に電力を供給することができるそうです。
応用例の1つは、無線LANで、今の無線LANは電波を使っているので、近所の無線LANの電波が受信できたりして、セキュリティ上よくなかったが、二次元通信を利用して、そのシートに直接接触しているコンピュータだけで無線LANを使用できるようにすることで安全性が高まるのです。
また、色々な複雑な配線が必要なものに対しても、このシートを利用することで、配線が必要なくなります。
とかそういう話。
2つ目の話は、離散凸解析。と銘打っておきながら、数理工学という学問の紹介のような感じ。
工学というのは、何かモノを作るために色々なコト(数理)を利用するわけですけれども、この数理を研究しておけば、同じアイディアでいろいろなモノを作るのに生かすことができると。
数学を使って、そのような方法論を提供するのが数理工学である、という話でした。
印象的だった教授の言葉は、「綺麗なものは必ず役に立つ」です。
数学的に美しいものは、必ず何かしらの役に立つものだ、という、一種の信仰だそうです。
教授自身も、若い頃に数学のある美しい構造に心を引かれ、その後10年後とかに、「棚ぼたで」突然そのアイディアを応用する方法が思いついたとか。
「ですから、みなさんも美しいものを見つけてください」と。
いや、このへんの話は感動してしまいました。