読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

07/23に

今年の夏休みの作戦としては、「大学に来てみたら、ラッキー、全部休講だった、図書館で勉強でもするか」という作戦で行きたいと思う。

と書きましたが、今のところ、この作戦は概ね成功を収めています。結構勉強してます。


僕がweb上で「何かが成功した」と書くのって珍しいよね。
今までにも何回かあったかもしれないけど、それらは大抵、「別に準備してなかったけど、自分の持っているポテンシャルで案外いい結果が出た」というだけではないかと。
自画自賛


とは言え、本当にこんな調子でのらりくらりとやってていいのでしょうかねえ。
僕の人生が一生夏休みで、どんなに時間かけてもいいんだったらいいんですけど……
本当に前進しているのか。


軽装版 解析入門〈1〉は幾度の中断期間を経て、一応読み終わったという形になりました。
ただ、定理の証明とかあまり覚えてないし、もう、ね、ぜんぜん、こんなんでいいのかわかんない。
ただ、何かの本の前書きに書いてあったけど、解析は一貫した体系というより、技術の積み重ねという側面が強いと思うので、演習を積んで慣れていくしかないかと。
シュプリンガー解析教程 上 新装版とかも読もうかと。演習を兼ねてね。


前から思っていたけど僕は解析はぜんぜん好きじゃないような。
解析入門も、最初の方の実数の導入とか極限の定義とかコンパクト集合とかのあたりは面白かったけど、そのあとはあんまりね(これに類することは物理研のMくんも言っていたけど)。
なんか煩雑だよね。色々。
いずれ好きになるのかなあ。


じゃあ何が好きなのって言われても困るけど。
代数とか面白そうだよね。
イメージだけど。
あと、圏論とかそのへん。
イメージだけど。
あと、測度論は面白そう。これもイメージだけど。
測度論から確率論ね。
幾何は全然面白そうじゃない(じゃない?って問いかけじゃなくて、単に否定ね。)。


9月はもっと勉強している時間の密度を上げることを目標にしたい。


最近読んでる本


死ぬ瞬間―死とその過程について
この本はスピリチュアル系かと思っていたけど、少なくともこの本に関してはまったくまともな本(訳者あとがきによれば、この本の出版後に、著者はチャネリングとか死後の世界とかに傾倒し始めるらしい)。
死の受容の5段階は興味深い。
僕もいずれ死ぬと思うとこんなブログなど書いてはいられない。
章の最初に引用されているタゴールの詩がよい。


ライフゲイムの宇宙
これは面白い。
理系は必読です。
っていうか現代人は必読です。
物理と情報の交差するあたりを縦横無尽に。
あー情報理論興味深すぎる。他の本も読もう。


自由は進化する
上の本とも少し絡んでますが。
arctanさんに紹介してもらった本で、決定論と自由意志は矛盾しないのか、という話。
まだ最初の方しか読んでいませんが、流れは見えてきました。
決定論の考えを採用するならば、未来は不可避であるように見えるけれども、「未来が決定されている」ことと、「不可避であること」は違う、というのが著者の根幹の主張のようです。
そして、回避の機構が、進化というプロセスにおいて得られた極めて複雑なシステムであることを、ライフゲイムなどを引き合いに出しながら示し、つまりは決定論的世界で「回避」が可能なことを示すことにより、上記の違いを示そうということのようです。
まだ最初しか読んでないので間違っているかもしれませんが、概ね合っているはず。


まだほとんど固まっていない個人的なアイディアとしては、たしかに決定論と自由意志は両立しうる、と思っています。
その鍵は、「決定されている」というのは、「神の視点」から見て決定されているのであって、一方自由意志というのは人間が持っていると考えているものなので、その視点のレベルの違いにあるのではないか……と漠然と直観的に考えています。
ただ、デネットのように、「回避」ということを進化を絡めて語るのは目くらましのような……もっと別のところに核心はあるような……という気はします。


まあこれらのことは僕がまだ漠然と考えていることなので、名探偵よろしく、犯人が確定するまでは決して喋らない方がいいかもしれませんけど。
ちゃんとした言葉にするのには数年くらいかかりそうだなあ。
あと、デネットが進化を持ち出すことに違和感を覚えるのは、「哲学の問題は言語の問題だけで解決できるはず」という考えがあるからかも。


論理哲学論考 (岩波文庫)
というわけで、これも少しずつ読んでいます。
僕の勉強不足からかもしれませんが、ラッセルの型理論は結局だめだったみたいな感じになっていて(?たぶん)、この論理哲学論考でも一蹴されていますが、どうも捨てるに忍びないんですよねえ。
だって集合を色々いじくるときに型の考え方、使ってません?
ベキ集合のベキ集合のベキ集合を考える時なんか、ややこしすぎて型理論的な考え方を頭の中で使わないわけにはいかなくありません?
まあ直観的に使用しているからというのは妥当性の根拠にはなりませんけど。


他に、囲碁もちょこちょこやってます。これはなんか面白いっぽいです。死活とか。


どうも数学より哲学の方に興味があるようなそんな気がする今日この頃です。