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講義 講義

3限Identity in Cross-Cultural Encounters
また日系アメリカ人の話。
アメリカの「日本文化がわかる」みたいな本に、こういう話があるとか(本にこういうのが書いてあったよ、と日系アメリカ人の著者が紹介している)。

日本で、結婚を望んでいるカップルがいて、その男の母親が、女の母親に、結婚の許可をもらいにいった。
男の母親は「桜がきれいな季節ですね」と話を切り出した。
女の母親は、茶を出したあと、皿に、美しく盛りつけられたバナナを出した。
会談中、結婚の話は一度も出なかった。
男の母親は家に帰って、男に「ごめんなさい。結婚の許可は得られなかったわ」と言った。
なぜ男の母親は、女の側が結婚を断ったとわかったのだろうか?



というクイズ。


このクイズを見たその日系アメリカ人の著者曰く、"To a Japanese, the answer is obvious."らしいです。
まあ答えは明日でも書きますね。暇な人は考えてみてください。


まあ、ぶっちゃけ(少なくとも今の)日本人にもこんなのわかるわけないんですが、こういうのを「日本人にとっては明らかである」と書くという、著者のアイデンティティを分析しようという話ですね。
教官曰く、「この問題が解けないことは、彼女にとって、アイデンティティの一部を否定することになる。だから、彼女はこの問題が簡単に『解けなければならなかった』のだ」だそうで。なるほど。


僕が付け加えたいのは、もしこの問題に直面するのが、日本に在住している日本人だったら、別に解けなくてもアイデンティティを失うことはないと思うんですよ。
なぜなら、この問題が解けないからと言って、その人が日本人でないとは誰も思わないですからね。
一方で、アメリカに暮らしている日系アメリカ人の彼女にとっては、このような問題を簡単に解くことくらいしか、日本人としてのアイデンティティを示す機会がない、それゆえに、たかが問題が簡単に解けないことが彼女のアイデンティティを失わせることになるのではないかと。


こういうの英語で言うと別に普通なんですけど、日本語で言うとなんか不自然な感じですね。
なんというか、「アイデンティティ」とか、そんなこっぱずかしい言葉を堂々と使うなよwみたいな。
「このクイズがその日本文化を紹介する本で取り上げられた理由は、その本の読者に、日本人は、遠回しなコミュニケーションを好むことを示すことだ。しかし、世界のどの言語にも、そういう、言語のdirectな側面とindirectな側面はあるのであって、こうやって、まるでそういうコミュニケーションの仕方しかないように言うのはいかがなものか」みたいなことを教官が言ってたけど、たしかに日本人にははっきりした議論はしにくいですよね。


5限コンピュータモデルで社会を観る
リスク認識・リスクコミュニケーションの話。
教官の専門分野は、原子力とかの社会的受容とかそのへん。
人々が、どのように、色々なことがら(例えば、原子力発電所、遺伝子組み替え作物など)に関してリスクとベネフィットを認識しているのか、アンケートをとり、統計分析によって、その性質を観察する。
他に、当該分野に知識を持っているか否か、原発が設置されている地方の人なのかと都会の人なのか、といった条件の違いで原子力発電所の受容に関する認識の差は生まれるのか。
調査からわかったこととしては、
・人はリスクとベネフィットを同時に勘案しない
・知識があるからと言ってよりよい判断ができるというわけではない。たしかに、自信をもって判断するようにはなるけど、それは、判断が先にあって知識を得ているのかもしれない。
また、原子力の社会的受容性は、「ベネフィット認知」と「リスク認知」と「信頼感」の3つの心理的要因により形成されているらしい。