試験初日*1の朝なわけだが、今日の数理科学言語科学ジェンダー論に関しては、単位が取れる見込みは30パーセント1パーセント10パーセントといったところである。
今期を振り返ってみると、英2の選択が重要な要素であったことがわかる。
英2で、微妙にめんどそうな外国人教員(授業は英語)を選んでしまったがゆえに、なんとなく行きたくない気持ちが生じ、その結果授業初日の前日に寝るのが遅くなり、授業初日の授業を寝過ごす原因となってしまった。
何となく行く気がしない授業で、初日を休んでしまったからますます行く気がなくなってしまったが、2週目は何とか授業に出席した。
2週目のこの授業では、「次の授業までに読んでくるように」とA47枚程度(ただし字の密度は濃くないので、そこまで量が多いわけではない)のプリントを渡された。
何となく行きたくない気持ちが初日を休んだことによって増幅されていた僕はプリントを次週の授業の直前まで放置、結局プリントを再びバッグから取り出すことさえなく再び授業の日を迎え、元からあった行きたくない気持ちも手伝って欠席。この欠席の精神的理由としては、初日を休んでしまったのでどういう授業をやるのか不明、何かものすごい難しい発表やdiscussionを課されるのではないかという不安もあった。
まあこのような経緯がありつつも、英2に関してはわりと頑張って2週に1回は出席、毎回出席しているうちに、「発表やdiscussionはない」という事実がわかった。
そうこうしているうちにfinal reportの課題が発表される。
最終授業で提出、この発表されたときは締め切り3週間前だった。
さて、「どういうテーマで書こうか、これがいいかなあ」などとぼんやり思考しては、「このテーマはなかなかいいな」などと悦に浸るあたりで思考停止するような作業を繰り返して1週間がたちまちに過ぎたが、感覚としては、「発表やdiscussionがない」という事実がわかり、これからは毎週出席できる、と思っていたということもあって、何となく充実感があふれていて、レポートに関しても、そのようなぼんやりとした考えを弄くっただけで、締め切り3週間前にふさわしい「創造的仕事」をしたような気になっていた。
次の週も出席した。このとき教官が言った"two weeks left"という言葉が、「何だかんだ言って、何もしないうちに1週間過ぎた」という衝撃(と言いつつも、その事実からはなるべく目をそむけるようにして、メデューサに対峙するペルセウスのように鏡を通じて恐る恐る対面したので、その衝撃はやや薄いものだったが)とともに強く記憶に残っている。
しかし、次の週は、鏡を通じてとは言え恐ろしいメデューサの姿が仄見えてしまったためか、石になってしまったように前進できず(先ほどの比喩をすぐここで利用するのはセンスないとは思うが、石になるという比喩があまりにぴったりだったので)、参考になるのかならないのかわからない本を3冊も買っただけで(切羽詰った状態が近づいてくると、「これを読めば解るだろう・書けるだろう」という本を何冊も買ってしまうことがよくある。しかも、本の内容はよく見もせずに買うので、役に立たないことも多い。そもそも、こうして買った本は、殆んど完全に積読のまま終わる。これは、「本を読みさえすれば大丈夫なんだ」という安心感と消費という快楽を得ようとする行為だと思われる)、またしても何もせずに1週間が過ぎ、次週の木曜日の授業の際には、「来週提出」という事実に否応なくつきあわされ、ほとんどパニック状態に陥ってしまった。
ということで、その後の土・日・月・火・水は完全に何もせず、1日中ネットをして過ごした。
月・火・水は授業もあったのだが、「レポートを完成させなければならない」などと言い訳しつつ実は逃避してしまい何もせず、サボってしまった。
特に、水曜日は基礎化学実験(振り替えで水曜だった)の日であり、欠席するとパートナーに多大な負担をかけるにも関わらず、何の連絡もせずに休んでしまった。
何の連絡もせずに約束を破るのは僕の最悪な癖のひとつであり、特に大学に入ってから多くの人に迷惑をかけてきた。
今年度もこの手段を3回も使ってしまった。もうサークルにも行っておらず、大学でも友達がほとんどいず、人との約束なんてそんな多くもないのに3つも破ったというのは相当多いな。
まあこれの解決方法についてはまた後で考えるとして、とにかく水曜日まで何もせず、とにかくレポートを書き始めたのは木曜日の午前2時頃であった。
その後徹夜で書き続けたが(書き続けた、というわりには作業密度が低かったが)、レポートを提出すべき最終授業の開始には間に合いそうになかった。
しかし最終授業だからと言ってレポート提出してはい終わり、とはならないだろうと見込んで、授業終了ぎりぎりまで時間をかけ、ついにレポートを完成させた(この、授業開始時刻に間に合わなかったことについては、授業は結構長くやるだろう、という見込みのみならず、この日のうちであれば、メールなり何なりの手段で提出を受け付けるだろう、という読みもあったのだろう)。
急いで大学に行ってみると、教室には既に誰もいなかった。
2つ前の文の括弧の中にも書いたとおり、無意識下ではこの事態を半ば想定していたであろうが、流石にこのときは少し焦った。というのも、英2の単位がとれないと再び降年(留年の一種)してしまうからである。
急いで教官にメールを出し、急いでいる中で思いつく限りの丁寧な英語を用いて、メールか何かの手段を用いて提出できないか、ということ、もし今まだ駒場キャンパスにいるならば、直接提出する手段はないか、ということを尋ねた。
返事が来るまで待つ間、進級の条件をもう一度よく確認するためアドミニストレーション棟に向かいつつ、降年になったら家出してアメリカにでも行こうか、などとくだらないことを考えたが、(そのときも半ば自覚していたことだが)今思えば、そのような茫洋とした妄想は、レポート提出期限3週間前に、「こんなレポートにしようか」などという無益な思考と同様で、まったく現実性も意味も何もないものであった。
実際にwordファイルを作ってまさに本論を展開し始めたとき、アメリカに行くために航空券を調べ、予約するとき、そのようなときになって初めて、思考と呼べるものになる。もちろんこんなことは頭では承知しているのだが。
アドミニストレーション棟で、受付の優しいお姉さん(いつも優しい)と一緒に条件を確認したところ、英語2の先学期も含めた平均で40点以上とれれば、4学期(2年の後期)に「特修クラス」なる救済手段があることがわかり、そして、だとすれば、今学期は0点だったとしても救済があることがわかり、一気にほっとしてしまい、アメリカ行きの計画が雲と消えたのを安心したのであった。
PCの前に戻るとメールの返事が届いており、今日中の教官の部屋の前の箱に出しておけ、との指示だった。
英文のメールはそういうものかもしれないが、文面は、僕のファーストネームで呼びかけるところから始まっており、アメリカ行きを心配したのがあほらしくなったのであった(そのような効果を狙ってファーストネームで呼びかけたのかもしれないし、あるいは教授が学生にメールを送るときはそのようにするものなのかもしれない)。
かくして英2についてはいちおう一件落着と相成ったのであるが、このレポート提出の代償は色々あったのだった。
他の科目については、また後で振り返ります。


あと、言わずもがなではあるが、「君さあ、色々これが原因で身動きが取れなかったとかあれが原因でサボってしまったとか言ってるけどさあ、君が原因としてあげてるような心理的負担なんてのは、世間の人は当然に背負って、楽々と乗り越えてる負担なんだから、そんなのは原因のうちに入らないでしょ。原因と言うなら、君の異常に弱い意志だけでしょ。そうやって色々なもののせいにしてるのは、君の意志の弱さから目を背けようとしてるだけじゃないの?」
という批判が当然ありえるが、しかし、僕の意志が異常に弱いというのは、既に事実としてあるわけで、これに関しては、「弱い意志を強くするように鉄の意思でがんばる」というのは、現実問題として難しいのであって、その、意志が弱いところの当人にとって大きな岩に見えているところの、世間からすれば小さな石について分析するのが、この石を乗り越えていく方法の一つではないかなと思います。
などと言いながら、既に1年生の夏学期、冬学期、2回目の1年生の夏学期、冬学期、2年生の夏学期が過ぎましたがなにも改善されていません。
しかし、今書いたほど詳細にこの日記(もしくはもう一つの日記)で分析したことはなかったはず(今回の分析は、まだまだ続く。まあ皆さんは僕の精神科の主治医でもなんでもないのでこんなもの読みたくもないでしょうし読んでもいないでしょうが)。


ところで、今書いていて、ネット上にこのような心理的弱みをさらけ出すのはまずいだろ、jk、という常識的な考えが浮かんだのだが、まあいいや。
8時から書き始めて9時17分になってしまった。遅くとも10時には家を出なければいけない。

*1:といっても試験期間にある試験がある初日と言うだけで、試験期間以前に行われる試験は既にいくつか行われている