3限 言語科学

ひさかたの
ひかりのどけき
はるのひに
しづこころなく
はなのちるらむ

という歌がありますが、この歌に関して、kの音とrの音が多いことから、「こころ」という言葉のアナグラムが仕組まれている、という説が紹介されたのだが、嘘くさいなあ。
アナグラムが作者が意図したものであるにせよ、意図しないものであるにせよ、アナグラムであると言いうるためには、ある言葉が、その言葉が登場するのでなしに、他の言葉に隠されて登場しないといけないと思うが、この歌でkとrの音が多いと言っても、「こころ」という言葉がここにあるから多く登場するように見えるのではないかと。
要するに、この歌から「こころ」の3文字を削除した文字列においては、k音とr音はそんなに多くはないんじゃないかと。


と思って一応調べてみた。
古今和歌集の1番から1000番までの歌の中から、乱数表に従って無作為に20首を選ぶ。
以下の20首。

288,5,踏みわけて,さらにやとはむ,もみぢ葉の,降り隠してし,道と見ながら
ふみわけてさらにやとはむもみぢばのふりかくしてしみちとみながら


658,13,夢ぢには,足も休めず,かよへども,うつつにひと目,見しごとはあらず
ゆめぢにはあしもやすめずかよへどもうつつにひとめみしごとはあらず


708,14,須磨の海人の,塩やく煙,風をいたみ,思はぬ方に,たなびきにけり
すまのあまのしほやくけぶりかぜをいたみおもはぬかたにたなびきにけり


135,3,我が宿の,池の藤波,咲きにけり,山郭公,いつか来鳴かむ
わがやどのいけのふじなみさきにけりやまほととぎすいつかきなかむ


63,1,今日こずは,明日は雪とぞ,降りなまし,消えずはありとも,花と見ましや
けふこずはあすはゆきとぞふりなましきえずはありともはなとみましや


42,1,人はいさ,心も知らず,ふるさとは,花ぞ昔の,香に匂ひける
ひとはいさこころもしらずふるさとははなぞむかしのかににほひける


325,6,み吉野の,山の白雪,つもるらし,ふるさと寒く,なりまさるなり
みよしののやまのしらゆきつもるらしふるさとさむくなりまさるなり


475,11,世の中は,かくこそありけれ,吹く風の,目に見ぬ人も,恋しかりけり
よのなかはかくこそありけれふくかぜのめにみぬひともこひしかりけり


791,15,冬枯れの,野辺と我が身を,思ひせば,もえても春を,待たましものを
ふゆがれののべとわがみをおもひせばもえてもはるをまたましものを


135,3,我が宿の,池の藤波,咲きにけり,山郭公,いつか来鳴かむ
わがやどのいけのふじなみさきにけりやまほととぎすいつかきなかむ


262,5,ちはやぶる,神のいがきに,はふくずも,秋にはあへず,うつろひにけり
ちはやぶるかみのいがきにはふくずもあきにはあへずうつろひにけり


241,4,主知らぬ,香こそ匂へれ,秋の野に,たが脱ぎかけし,藤ばかまぞも
ぬししらぬかこそにほけれあきののにたがぬぎかけしふぢばかまぞも


994,18,風吹けば,沖つ白浪,たつた山,夜半にや君が,ひとりこゆらむ
かぜふけばおきつしらなみたつたやまよはにやきみがひとりこゆらむ


916,17,難波潟,おふる玉藻を,かりそめの,海人とぞ我は,なりぬべらなる
なにはがたおふるたまもをかりそめのあまとぞわれはなりぬべらなる


748,15,花薄,我こそ下に,思ひしか,穂にいでて人に,結ばれにけり
はなすすきわれこそしたにおもひしかほにいでてひとにむすばれにけり


571,12,恋しきに,わびてたましひ,惑ひなば,むなしき殻の,名にや残らむ
こひしきにわびてたましひまどひなばむなしきからのなにやのこらむ


30,1,春くれば,雁かへるなり,白雲の,道ゆきぶりに,ことやつてまし
はるくればかりかへるなりしらくものみちゆきぶりにことやつてまし


294,5,ちはやぶる,神世もきかず,竜田川,唐紅に,水くくるとは
ちはやぶるかみよもきかずたつたがはからくれなゐにみずくくるとは


365,8,立ち別れ,いなばの山の,峰におふる,松とし聞かば,今かへりこむ
たちわかれいなばのやまのみねにおふるまつとしきかばいまかへりこむ


427,10,かづけども,浪のなかには,さぐられで,風吹くごとに,浮き沈む玉
かづけどもなみのなかにはさぐられでかぜふくごとにうきしずむたま

(数字は歌番号、巻番号を表す。http://www.milord-club.com/Kokin/text.htmより引用)
(乱数表に従って選んだら、偶然にも135番が2つ選ばれてしまったが、別々の歌として数えた)
(乱数表はhttp://www.geocities.jp/yasuko8787/02-05.htm#ransuuhyouを利用した)


かなは、もしかしたら間違ってるかもしれないので、間違ってたら指摘してください。


で、以上の歌について、k音、s音、t音、n音、h音、m音、y音、r音、w音、g音、z音、d音、b音についてその頻度を調べた。
ただし、それぞれの音に属する文字としては、
かきくけこ、さしすせそ、たちつてと、なにぬねの、はひふへほ、まみむめも、やゆよ、らりるれろ、わゐゑ、がぎぐげご、ざじずぜぞ、だぢづでど、ばびぶべぼ
があるものとした(簡明のためこうしたけど、これは適当じゃないかも。「じ」はj音だろうし)。


で、その結果。
全部で595個の子音。
(94)K音0.158
(86)N音0.145
(76)M音0.128
(64)H音0.108
(62)R音0.104
(60)T音0.101
(49)S音0.082
(27)Y音0.045
(20)Z音0.034
(17)B音0.029
(16)G音0.027
(13)W音0.022
(11)D音0.018
()内の数字は頻度。


一方、「ひさかたの〜」の歌については、
k音は7文字、r音は5文字登場するので、
その歌全体に占める割合はそれぞれ、k音が7/31≒0.226、r音が5/31≒0.161で、
「こころ」の3文字を削除した場合は、全体は28文字、k音は5文字、r音は4文字になるので、
占める割合は、k音が5/28≒0.179、r音が4/28=0.143となる。


で、以上の結果を、古今和歌集全体の頻度と比べてみると、「こころ」の3文字を削除した場合でも、やはり平均よりかなり多いことがわかる。
ということで、僕が予想したのと違って、やはりk音とr音は多いと言えそうです。


この調査の反省点
・サンプルが少ない。また、サンプルが古今和歌集に限られている。
・歌の読み方(かな)が怪しい。
・子音の分け方が怪しい(じがd音になっているなど)
・平均値だけしか調査していない(分散とか標準偏差とかがあればよかった)


まあ時間とか能力とかの制限で適当な調査です。


5限ジェンダー
授業の性格上、セックスの話が頻出するのだが、その度にカップルが肘で小突きあったりするらしい。
これはひどい
ただ、一応「非モテ側」の者として、この授業は取っておきたくはあるので我慢するしかない。


教官は関西出身で、なんかしょっちゅう笑いを取ってきたりする、所謂「面白い授業」を展開するのだが、こういう「おもろい教官」は苦手だ。
「面白い教官」からは、こちらにも面白い雰囲気を強制するような感じを受ける。
特に、質問するときはそうだ。
そもそも、質問というものは、「空気が読めない」ものが多いものである。
ここで言う「空気が読めない」というのは、質問すること自体、ではなく、質問の内容のことだ。
どういうことかというと、基本的に教官は、自分ではわかりやすいだろう、こうすれば理解できるだろうと思って講義をしているわけだ。
にも関わらず、学生の側に疑問点が生じるのは、単に学生の理解力不足ということもたまにはあるかもしれないが、それよりは圧倒的に、教官と「文脈」を共有していない場合が多いと思う。


適切な例がすぐには挙げられないけど、例えば、線形代数で「有限次元のベクトル空間の次元は一意に定まる」ということを、教官が一生懸命説明しているのだが、学生は、そもそも、なぜ一意であることを証明しなければいけないのかを理解していない場合とか。
まあこの例はわりとわかりやすい文脈の違いだけど、実際は、もっと微妙な文脈の違いが多いと思う。


まあそういうわけで、質問が生じるのは、教官と学生が文脈を共有していない場合が多いと思う(ていうか世の中の無理解に一般に言えるような気もするが)。
そういう意味において、多くの質問は「空気が読めない(KY)」のである(まあ、学生が自分の理解を示すために、あえて答えのわかっている質問をする、「優等生的質問」も存在するけど。この種の質問もついしてしまうことがよくある。ただ、確認のつもりでした質問で、実は自分が勘違いしていたことに気づくこともよくあるので、「優等生的質問」は示威的であるのみではない)。


しかし、「おもろい教官」は、「面白い」という空気をまとっているので、今言ったような意味で「KY」であるところの質問をしにくい雰囲気がある。
なぜなら、「面白い」の雰囲気は、非常に微妙なバランスの上に成り立っているので、少し空気が読めないことをするとすぐに崩れてしまうから。


質問をすることにより、この空気を壊してはいけないのではないか、という雰囲気がある。
だから、「おもろい教官」は苦手だ。






そもそも、大学教員などというものは、その権威によって、質問しがたい雰囲気がある。
「おもろい教官」は、学生の地平に近いところに下りていこうとして、そのような面白い空気を出しているのかもしれないが、その実、「面白さ」の持つ権威性・暴力性によって、かえってその近づきがたさを強める結果になっているように思う。
というわけで、「おもろい教官」の皆様方には、自らの権威に自覚的になっていただきたいものである。