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無題

ある瞬間を境に人間が変わってしまうとか、或いは何か全く違う運命の中に置かれる、とかいう考えは幻想である、というのは、確かに説得力のある考え方だけれども、しかし、それがむしろ一貫した人格という幻想の所産ではないのか、実は人間は一瞬の内に変わってしまうし、世界もまたそうなのである、というのが正しい考え方じゃないか、という気もする。
げんに一瞬の判断が生死を分ける、というのはありふれたことなわけだし、いやしかし人は遅い早いの差はあれいずれ死ぬのだから、どちらもまた然りでありそれが当然で、それらは同然なのかもしれない。
が、やはり世界は誰が何と言おうと分岐しているのだ、俺は確かに世界が分岐するのを見た、という人はいないけれども
そういう意味で言えば、僕は今一つの分岐点の前に立っていて、どちらの分岐になるかによって大きな違いが現れる、ように思われる、少なくとも主観的には。
より正確に言えば、分岐は既になされていて、ここで初めて主観的にその違いが発現する、ということにすぎない。
その分岐は、もちろん僕が自分で選択したものではあるのだが、ことここに至っては、それは箱の中の猫のようにもっぱら確率に制御されているようにみえてならない。
勿論、そのように思えること自体が、僕のコントロール喪失の感覚を表しているとも言えるが、しかし確率というものの哲学的な理論には大きく二つの方向性があったはずで、それは一つは、確率は何か自然の性質である、という説で、もう一つは、確率は我々の側の知識・認識に関する性質である、という説であるが、後者の考えに立てば、全く正当にこれは確率的な問題なのである。(一旦家に帰ったのち続く?)