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無題

キャンパスに新入生がいる駒場キャンパス(に3年生以上としていること)はつらいという話があるけど、特にそうは思わない。なんかあまりに自分からは遠い人たちだからっていうかね。あの進振りだのなんだのっていう駒場特有のノイズ、そういうのはどうでもいいわけです。

ただ…もっと大事なものは逃してきた気がする。彼女とかそういう話じゃなくてね。それは後述するけど、ライフスタイルの問題だから。

僕が逃してしまったものの一つの例としては、まあ友達ですよね。さっきも言ったけどなんか「新歓」とかそういうイベントで連想されるような広く浅くみたいなのは苦手だし重要じゃないとは思うけど。

いや、そんなに逃してないのかなー。わからん。しかし、友達(多く見積もって)4,5人てのはきついよね。ガチでそれくらいで、あとはほぼ他人だからね。会ったら挨拶する程度もないからね。

いやまあ、それは問題ないかもしれない。
それより個人的にキツイのは何もしなかったってことなんだよなー。

留年で余計に時間かかったとかはまあいいですけどね。

なんか、やろうと思ってたこと、やりたいことが何もできなかったっていうのがね。

しかしこれは思い返せば小学校の頃からそんな気配はあったかもしれない。やりたいことができない。意志を持ってやりたいことをやるってことがね。
いや、違うか。やりたいことのためにやらなきゃいけないことをやる、これが難しい気がする。

単に義務であることは、やらなきゃいけないからやらざるを得ないわけです。ただ、やりたいことのためにやらなきゃいけないことっていうのは、やらなくてもいい、でもやりたいことをやるためにはやらないといけないことだから、強制力がない。
これをやるためにはやりたいことを遠くに見定めて、それを念頭において、それを目指して、志向して、やらなきゃいけないこと(大抵は退屈なこと)をやらないといけない。これが苦手だったし、今も苦手なんだよなあ。

そう言えば、大学入学直後に、某通信教育の「合格した先輩の体験記」みたいのを(その通信教育やってたわけではないのに)バイトで書いたが、あれに僕は書いていた、「やってて楽しい勉強だけやって受かった、それ以外はやらなくていい」と。

当時はそれでいいと思ってたけど、やっぱりそれだけではダメじゃないかな。

と思ったり。

まあ、そういうわけで、6年間無駄に過ごして大学を去るのが辛い。(卒業は全く確定には程遠い状況にあるけど僕は卒業する気満々。これも去年書いた例の予言のように外れる可能性もあるけど)例えばこの春修士を出たある人が、安田講堂の写真をTwitterに載せて、コメントで「変人たちに囲まれた楽しい6年間でした。さようなら。ありがとう」みたいの書いてると、つらい。まあ、僕は、「東大的」な「変人」というのは嫌いだからそこはいいけど。僕は自分勝手だから、一番悔しいのは、自分のやりたいことができなかったこと。



というわけで、ネガティブ語りはこのくらいにして、どうやってやりたいこと、
やらなきゃいけないことをやるか、そのシステムを作らないといけない。
システムと言ってもねー、ライフハック的な外部的なシステムはねー、あんまやる気しないのよね。
まず構築が面倒くさいうえに、移植性がやや低いと思うんだよね。例えば、武装勢力に拉致されて、自由な行動取れなくなったら、コンピュータはもちろん手帳も使えないでしょ?
あと、まあこれは日本人乙東洋的ambiguity乙って感じだけど、やりたいことを箇条書きとかにしたくないんだよね。はっきり整理したくないんだよね。脳内で曖昧に、ぐるぐるさせておきたいんだよね。
ま、こんなんだからダメなんでしょうが。

まあ、それはさておき、まずは生活におけるcontrolの感覚を取り戻すことが先決だとおもうのね。自分が自分の生活をコントロールできている、という感覚。

それで数日前に、簡単な目標を設定してみるってのをやってみたわけだけど、これはダメでしたね。ハードル高すぎた。

それで、今日はどうしようって思うわけですが、よし、こうしよう。

当面の目標は、毎日この日記書くことってことで。
なんか、2005年〜2006年に僕がはてダを熱心にやってた頃を思い出して楽しいね。

ということで、今日はもう目標達成したので、あとは「私が自由に過ごす自由時間〜♪」(by豊崎愛生のおかえりらじお)
はー気が楽だ。