無題

院試とか何とかいう以前に親を説得しないといけないとは。でもまあそりゃそうか。
しかし金銭的なことを言ってたけど、実際にはそんなに増えないはず。家賃は純増だが光熱費と食費は実家にいてもかかるわけだから。バルクディスカウントということを考えても、核家族だからその効果はあまり大きくない。10人家族ならいざ知らず。
まあ去年は家出して全額払おうと思ってたくらいなんだからTAとかやってある程度は出してもらうのが現実的か。
それより東大から出ること、親元を離れることが不安なのだろう。っていうか将来の見通しも立たないしね。例えばもし研究者諦めて就活するとなったら東京でやらないといけないし。
そこはまあ一応宮廷の名古屋大(もしくは東北大)ですし、ということで納得してもらうしかない。というか、最終的には信用してもらうしかない。
いや、ていうか、名古屋行くとか仙台行くってそんなに大した話か?
まあ急な話で整理がついてないってのもあるかもしれないが。

異性の親はいざ知らず(マザコンか)、結局男にとって父親というのは目の上のたんこぶ、他人でしかない。

そして、今までの実績では、虎から投資を勝ち取るには、甘えるしかない。
信用しない父親もむかつくし、そうせざるを得ない自分も嫌だ。しかし過去については後悔してもしょうがないので、結局父親が嫌だ。というか根本的にはそれがある。僕の人生で。

だから、「父親殺し」(脅迫などと見做されると嫌なのでなくてもいい注釈をつけるが、当然「精神的に」ということである)をしないといけない。そのためには、「男」にならなければいけない。つまり、象徴的には、「ブラック企業に勤める」ということである。ブラック企業精神主義とか過重労働って巨大なマッチョイズム、殺すべき父親なんじゃないの?

そして、それは僕が忌避してきたところの男性性。

ま、綺麗にオチがついたところで寝ないと。起きるには目覚まし時計が必要だ。これは優れて男性的な装置だ。戯言が過ぎるだろうか?

このエントリは差別主義的だろうか?定時に出社してサビ残して、てのが男性的だ、と指摘するのは差別主義的なのか?
そうかも。
しかし、僕にはサラリーマン的と思われることは男性的なものが多い気がする。例えばジャパニーズサラリーマンの勤務スタイルには産休というのは考慮されてない、というのは、1つの傍証にはなるかもしれない。
そもそも男性的・女性的、ということを語るのが差別的か?しかし、現状の社会で通用している概念を無視・無効化することはできない。
また、僕は上で、男ならこうすべき、女ならこうすべき、と述べたわけではない。現在の社会で一人前の人間と認められるためには、定時出勤などの男性的素質を満たす必要がある(そういう「男社会」は変わりつつあるのだろうが(例えばフレックス出勤とか?貧弱な例しか浮かばないが))ように思われる、ということ。
うーん、やっぱ差別的な気がする。僕がね。つまりね、唯一僕がPCを保ちうるのは、「そのような男性的なものを拒否してきた(キリッ」という点なんだけどね。
まあこれも僕の非モテ論と同じで、危うい、あってなきがごとしだ。

そもそも全て印象論だからな。今日のこのエントリの中にはどの思想家の思索も含まれていない。単なる俗流トンデモ社会論だよ。あーあ。無論無形に無数の影響は受けているだろうが、ごった煮のゴミですよ。この5年間何も教養を深めなかったのが悔やまれる。ま、人生悔やまれることばかりだろうよ。それに、教養なんて墓までは持ってけないし、ある意味では下らないものだ。つまり、これから勉強してけばいい。
数年とはある意味では長くある意味では短い。知識を学ぶには長いが、知恵を身につけるには短い。眠い。寝よう。